朱喜哲さん×三宅香帆さんスペシャルトーク(6)匿名性と書店の未来
令和8年4月に発行した「ほんのわミニ」。
「本のまち八戸ブックフェス2025」で開催した哲学者・朱喜哲さんと文芸評論家の三宅香帆さんによるスペシャルトークイベント「本と読書と書店〜私と世界をつなぐもの〜」の特別ダイジェスト版を誌面に掲載しました。
私的なものと公共的なもの、そしてそれをつなぐ本や書店の役割について、さまざまな角度からお話ししていただきました。
ここではお二人の対談完全版を、7回の連載記事としてご紹介していきます。
■スペシャルトークイベント
本と読書と書店〜私と世界をつなぐもの〜
匿名性と書店の未来

三宅 香帆さん(以下三宅):八戸ブックセンターは、運営してるのが自治体であることが大きい気がしています。ちゃんと場を作っているのはもちろん個人なんだけれども、場としての機能は公共的であってほしい。そういうことを考えた時に、取ってつけた感がないことが、とても大事。行政が作った別の施設とかだと、ちょっと取って付けた感がある施設になっちゃうこともあるあるだと思うんですけど。八戸ブックセンターは、それがないですよね。町に溶け込んでいる感があるのがすごくいい。
書店のかっこよさの塩梅、とても難しい話ですけど、すごく大事だなと思います。
朱 喜哲さん(以下朱):大事ですよね。マチニワに行くたびに、中高生が自習していたり、市民の皆さんが利用していることに感動するんですよ。まちなかピアノとかもあるんですけど、普通に弾いている人がいらして。あえてかっこよく作れば作るほど、結局人が入らなくなったりすることがありますから。
三宅:確かに!ピアノとか弾かれなくなったりしますもんね。オブジェみたくなっちゃって。
朱:みんなが使えてるというのも大事な面で。
余談なんですけど、BRUTUS.jp連載「バザールとクラブの哲学」の中でも少し触れていますが、山本理顕さんという建築家がいらっしゃいます。哲学者ハンナ・アーレントに刺激を受けながら、プライベートなものとパブリックなつなぐものが建築なんだというテーゼからいろんな話をされ、建築家として実践をされ続けておられます。
2024年にプリツカー賞という建築界のノーベル賞を取られていらっしゃって、いろいろな公共建築を手がけているんですけど、この方と社会学者の上野千鶴子さんとの対談集があるんですよ。
その対談集『家族を容れるハコ 家族を超えるハコ』の中で、上野さんがバッサリ切り捨てることがあって、「建築家というのはやっぱり頭でっかちで、夢想家なんだということがわかりました」とおっしゃるんです。
どういうことかというと、建築空間としてここがパブリックスペース、ここがコモンスペース、ここはプライベートスペースとして作っても、そんなのはそれを運用する人がいなければ機能しないんですよ、ハコだけ作ってもだめなんですよ、と上野さんがバサッとおっしゃっていて。
これはまさに「ケア」の不在の話でもあるんですけど、「バザール」も「クラブ」も、ハコだけあっても機能しないのですよね。
山本理顕さん以降の弟子筋の人がつくる公共性を包含した建築物、例えば「食堂付きアパート」を手掛けた仲俊治さんとかは、つくって終わりじゃなくて、建築空間の運営にも関わるんですね。
建築家の仕事はつくって終わりで、名前だけ残る、ということじゃなくて、その先のランニングというか、ずっと住む過程にもかかわるんだということをやっていらっしゃるんです。
先日、白楽にある「書店など『bookpond』」さんでトークイベントがあって、そこでも「お店」の話をしたんですけれど、一緒に登壇した建築家の方がおっしゃっていて、すごく納得したことがあります。
その方は建築家として建物をつくって終わりじゃなくて、つくった後のお店でも店頭に立っているそうです。つくったときは建築家の名前がクレジットとして残るわけなんですけれども、店頭に立っていると、その店の人になるから匿名になるんです、と。
店頭に立つと、顔が見える関係だと思われるけど、お店の人というのは別に〇〇さんとか、何か肩書があるわけじゃなくって、「店の人」になるんですよ。
三宅:たしかに。店長さん、とかマスターとかになりますよね。
朱:「匿名になったことで、初めて私はまちの一員になれた感じがしました」とおっしゃっていて。すごく面白いし、「お店」というもののマジックがそこにあるなと思ったんです。
かっこいいハコをつくりました、ここに公共空間があります、っていうので終わりじゃなくて、そこに住み込んで、そこを建てた建築家が誰かも知らない人から、「〇〇はどこにありますか?」とか聞かれるふうになって初めて公共的なものが機能し始めるかもしれない、という話なんですよね。
八戸ブックセンターのすばらしいところも、かっこいいハコをつくって終わりにしてないという点に肝があると思います。店員さんとしての「運用」というか、関わり続ける人々がいて、そこではやはりある種の「ケア」が行き交ってもいる。
それは生身の人が担うもので、それが可視化されることで、お客さんもそれにちゃんと報いなきゃと思う…というような連鎖が生まれているような感じがします。
三宅:クラブ的な安心できる場所としての書店もある一方で、いろんな人が行きやすい場所って、多分バザール的な側面がある。で、バザールになったときに、あまりお店の人の名前がいらないのかもしれない。
それこそ、店長さんがちゃんといるとか、子どもが安心して行ける場所であるということの方が大事で。クラブ的な、読書会を開いたりすることと、誰でも行けるし、別に自習してもいいみたいなバザール的な側面もどっちも行き来しつつ持っている。八戸ブックセンターさん的な、町の書店のあり方も、正解に近しいところなのではと思ったりしますね。
朱:こういうのを他で再現するときに、何かヒントがいっぱいある気がするんですよね。
三宅:そうなんですよね。どうしたら再現性が持てるんでしょうね。まず、この場の意味とかを言葉にして、行政の人にも理解してもらうのも必要な気がしますよね。
朱:ですよね。それって多分、ハコだけ見る視察をしてもわかり得ない何かがきっとある気がするし。
ブックセンターができて、八戸の人たちがどう生きてるんだろうみたいなことを、もしかしたら生活史的なものとしてやってみるとか…。急に壇上で思いついたことを適当に言っていますが(笑)
何かこの面白さ、このダイナミクスを表現できるようなことがあると、これがまた人口に膾炙したり、他のエリアの伝播可能性が高まったりするかもしれないなという気がしますね。
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