朱喜哲さん×三宅香帆さんスペシャルトーク(2)私的なものと公共的なもの
令和8年4月に発行した「ほんのわミニ」。
「本のまち八戸ブックフェス2025」で開催した哲学者・朱喜哲さんと文芸評論家の三宅香帆さんによるスペシャルトークイベント「本と読書と書店〜私と世界をつなぐもの〜」の特別ダイジェスト版を誌面に掲載しました。
私的なものと公共的なもの、そしてそれをつなぐ本や書店の役割について、さまざまな角度からお話ししていただきました。
ここではお二人の対談完全版を、7回の連載記事としてご紹介していきます。
■スペシャルトークイベント
本と読書と書店〜私と世界をつなぐもの〜

朱 喜哲さん(以下朱):最近BRUTUS.jpで「お店」についての連載をしてるんですね。
三宅 香帆さん(以下三宅):名連載なので、ぜひみなさん読んでください!私かなり好きなんです。
朱:ありがとうございます。2024年2月にNHK番組「100分de名著」で、私が紹介した哲学者リチャード・ローティが、公的なものと私的なものの話をするときに「バザールとクラブ」という比喩を用いるんですよ。
哲学の歴史のなかで公的と私的というと、よくある比喩は、公共的空間が政治参加する「アゴラ(古代ギリシャの広場)」であって、私的空間とは、プライベートの語源がそうであるように、そこへのアクセスを奪われている人たち、つまり当時のギリシャであれば女性や子どもや奴隷階級の人たちが押し込められる「家庭」であったり、生活が必要に汲々とする場所、「市場」とかもそうなんですね。
生活の必要性に追われるということがプライベートであって、そこから自由であるというのがパブリックだという。
三宅:確かに。スーパーがある意味私的なもので、公園的なものが本当は公共だ、みたいなことがよく言われますよね。
朱:ローティの面白いところが、「パブリックとプライベート」の比喩が「バザールとクラブ」なので、両方商業的な空間なんですよ。現代のパブリックとプライベートを考えるときに「お店」について考えることでヒントが得られるのではないかなと。私自身もさまざまな「お店」、酒場や服屋さんなどなどは好きで通いますから、どんなこと考えながら呑んだり、服を買ったりしているかも念頭に書いていることもあるんですが、それを通して公共と私的の関係を考えたいという連載なんですね。
三宅:バザールが市場で、クラブがもうちょっと狭いところ。飲み屋さんで呑む、みたいな。
朱:会員制クラブみたいなところですね。みんなが一つのバザールで生活するけれど、それは疲れてしまう部分もあるから、ひとりひとりにとってのクラブが必要なんだっていうことです。そこは心理的安全性がある場所で、何でも話せちゃうんだけれども愚痴を言うだけにとどまらず、偏見とか差別的なことを言っちゃうかもしれない。
でも、そういう場所がなくちゃ人って変わりようがないから、プライベートな言葉遣いを吐露する場所がいるんだよ、っていうのが「バザールとクラブ」論です。
◆プロフィール 朱 喜哲(ちゅ・ひちょる) 哲学者。1985年大阪府生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。大阪大学社会技術共創研究センター招へい准教授ほか。専門はプラグマティズム言語哲学とその思想史。著書に『人類の会話のための哲学』(よはく舎)、『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす』(太郎次郎社エディタス)、『バザールとクラブ』(よはく舎)、『100分de名著 ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』』(NHK出版)。共著に『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)、『世界最先端の研究が教える すごい哲学』『在野研究ビギナーズ』、『信頼を考える』(勁草書房)など。共訳に『プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか』(ブランダム著、勁草書房)などがある。 三宅 香帆(みやけ・かほ) 文芸評論家。1994年高知県生まれ。京都大学人間・環境学研究科博士前期課程修了。京都市立芸術大学非常勤講師。天狼院書店京都支店長、リクルート社を経て独立。小説や古典文学やエンタメなど幅広い分野で、批評や解説を手がける。著書『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』(サンクチュアリ出版)『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書。新書大書2025受賞作)『娘が母を殺すには?』(PLANETS)等多数。 |












