朱喜哲さん×三宅香帆さんスペシャルトーク(7)質疑応答

令和8年4月に発行した「ほんのわミニ」。

「本のまち八戸ブックフェス2025」で開催した哲学者・朱喜哲さんと文芸評論家の三宅香帆さんによるスペシャルトークイベント「本と読書と書店〜私と世界をつなぐもの〜」の特別ダイジェスト版を誌面に掲載しました。

私的なものと公共的なもの、そしてそれをつなぐ本や書店の役割について、さまざまな角度からお話ししていただきました。

ここではお二人の対談完全版を、7回の連載記事としてご紹介していきます。

 

■スペシャルトークイベント
本と読書と書店〜私と世界をつなぐもの〜

  1. 本と読書の意味
  2. 私的なものと公共的なもの
  3. 書店という場所
  4. 書店の可能性
  5. 書くこと・文体・スタイル
  6. 匿名性と書店の未来
  7. 質疑応答

質問者1:ハウツーよりも大事な「先生の想い」の話

質問者2:「映える」ことと、本屋さんのカッコよさのあいだ

質問者3:八戸ブックセンターは、世界の歴史を変えちゃうかも?

質問者4:おしゃれな本屋さんの「敷居」をそっとまたぐには

質問者5:お仕事しながら、もっと楽しく本を読む工夫

質問者6:自分にぴったりの出版社やレーベルを見つけるコツ

質問者7:紙の本ならではの「重さ」や「手触り」はずっと残る?

 


 

 


 


ハウツーよりも大事な「先生の想い」の話

 

質問者1:ありがとうございました。お話を聞いていて、八戸ブックセンターに研修や視察に来てほしいという話があって、そこで見るだけじゃだめだという話もありました。

私は教員をしておりまして、教育もまさにそうなんです。

いい授業があって、その方法だけやっても、絶対にその授業にはならなくて。

それ以前に理念というか、その先生の考えを知るというところが大事だよなー、というのを知っていたので、それと通じるのかなと思ったりしました。

やはりハウツーだけではだめなんだというところに、すごく共感して聞けました。

ありがとうございました。

 

朱 喜哲さん(以下朱):ありがとうございます。それは面白いですね。

教育をどのようなモチベーションでやるんだという話は、学校教育とは一見敵対的に見えるかもしれませんが、選書に掲げた『群れから逸れて生きるための自学自習法』は、むしろ先生方こそが読むと手引きになるというか、「先生・教員のための学校になっていないか?」という問いも含めて面白い本だと思うので、もしよかったらぜひ。

 


 


「映える」ことと、本屋さんのカッコよさのあいだ

 

質問者2:最初、本屋はなんか写真映えしないという話と、最後にかっこよすぎる本屋には行きたくないという話があったじゃないですか。

自分は今大学院生で、芸術とかを勉強しているんですけど、写真にすごい興味があります。

写真がいますごく絵画的になっているように思っていて、手軽に加工ができるようになったあたりからとか、あとそれこそ写真映えというのが昔のフォトジェニックとは違った、いい光が入るとかとはちょっと違った、イイネがもらえる方の映えっていうところが結構絵画的だなと思ったんですけど、本屋もそうだなというのが聞いていて思っていて。

本がオブジェになっているとか、そういう記号的に見えちゃう問題が自分はいやなんですけど、写真の良さって何か格好いい人じゃなくてもカッコいいっていうのがあって、モデルとか写真とかですけれど、その辺に住んでいるとか、何かその辺の風景とかがかっこいいっていうのも写真の良さで、自分がすごいそういうのが好きで、もともと訴えかけてこないものとか、自分のこれが格好いいんだよっていう希望性が見えすぎないものが好きで、写真がすごい自分的に意味を自分の中でこれかっこいいんじゃないかという意味を見出せるという感じがすごい好きだなというのを最近写真論の本を読んで思ったんです。

すごい話が長くなってしまったんですけど、二人の中でそういう美学というか、かっこいいかかっこよくないかわからないものとか。企業とか作り手のかっこよさがわかりやすすぎるもの。この辺の話を聞いてみたいです。

 

朱:確かに今日話した中で、回収しなかった伏線として、本屋ってスマホ出さないよねって話と、でもやっぱりインスタ映えすることによって人が集まってくるから本屋も映えるポイントも大事かもしれないねという話がありつつ、最後の方にかっこよすぎる本屋もダメですよね、と、ちょっとした矛盾をどう調停するかは今のご質問と絡むと思うんですけど、どうですかね……?

 

三宅 香帆さん(以下三宅):いや~、そこはすごく難しいですよね。とはいえ、資本主義的には、映えポイントを作った方が人も来るのではないかと思ったりもするのです。かといって、それが前面になりすぎても…みたいな、自分の中に面倒くさい葛藤があったり…。

 

朱:そうですよね。本屋に写真撮られに来ても…、っていうところはありますよね。

 

三宅:でもそういう映えスポットが、確かに本屋さんになさ過ぎる問題もある。知るきっかけがないのはもったいないなと思ったりもするんです。

なので、その辺はすごい葛藤するポイントではあるんですけど…。

格好良さもそうですね。でも私の基準っていうのは、かっこいいけど、きちんと使われているみたいなのがすごいなと思っています。美的に振り切っていない、みたいな格好良さはあるなと。

 

朱:そのバランスについて話しましたよね。まさに僕も同じことを違う言葉遣いで言いますけれども、やはり自分の美を見出して、それが揺らがないというやり方もあると思いますし、そういう人が、美学あるカッコいい人だということもある。

でも、少なくとも僕は全くそういうふうに自分自身が思わなくて。どう見えるかとか、何か常に外側から考えるようにしかできないな、というのが三宅さんとの共通点かもしれませんね。

 

三宅:それで言うと、私はBRUTUSの朱さんの連載の服の回が死ぬほど好きな話なんですけど、その回で結構そういう話もなさっていて。服について似合う似合わないとか、そういうのももちろんあるけれど、でもその先に実はどう見せるか、TPO、他人に合わせているか、という価値基準が実は大事だという話をなさっていて。

 

朱:そうなんです。まさに「コミュニケーション的なかっこよさ」みたいな話をしたかったんですけど、今ご質問者がおっしゃったみたいな「写真映え的なかっこよさ」って、そこに切り取られた静的なかっこよさがあるので、本当にセンスがいいのはまぁそういう人かもしれませんが、僕自身はそこに関心がないし、そういうセンスはあまりないと思っているので、コミュニケーション的に生じるかっこよさ……というか、そう見られることがあり得る文脈については、味わえるし鍛えられるかなと思っているという感じですかね。

 

三宅:朱さんがご自分のことをそんな風に思っているなんて、BRUTUSを読んで驚いたのですが、周りの人にも驚かれませんか?

 

朱:うん、あの回は結構言われることがありますね。私としてはネタバラシ回って感じなんですけど。

 

 


 


八戸ブックセンターは、世界の歴史を変えちゃうかも?

 

質問者3:さっき八戸ブックセンターが行政らしくない、行政離れしているというご指摘をいただいて、「はっ」と思ったんですけど。

齋藤ジンの『世界秩序が変わるとき 新自由世界からのゲームチェンジ』という本を読んだんですが、それは冷戦崩壊後の時代が終わって、次の時代に入ろうとしているという、世界史を転換する時にやっていることを彼は述べているんですけれども、もしかしたらですよ。

八戸ブックセンターは新自由主義の時代が終わって、大きな政府の時代が来るきっかけを始めているのかもしれない。ブックセンターは2016年に開設されましたけれども、齋藤ジンさんの書いてある世界史の変わり目に不思議と符合するんですよ。ですから、こういう日本の地方都市で、まさかと思いますけれども。

三宅さんのお話で、もしかしたらやっぱりどこかで呼応しながら世界史の転換期にちょうど当たっているのかなという感じを持ちました。

 

朱:すごい!私たちはいま世界史の転換点に立ち会っているかもしれない……。

 

三宅:真面目にけっこうそういう話あるかも…と思うんですよ。齋藤ジンさんの『世界秩序が変わるとき』という本は、冷戦後ずっとグローバル化だ、みたいな話がずっとあって。それって結局、日本のお店史でいうと、チェーンストア、マクドナルドがたくさん入ってスターバックスが入って、書店とスタバが合体して広がっていくみたいな流れの中にあったわけですよね。

でもそれが、意外ともうスタバとかはどこにも入りきってしまって、ここから伸びるという感じではないのでは?となった。だからこそ今、このグローバル化が一旦、もうピークを超えていて。ここからはちょっとローカル化の流れになるのかもと。悪い意味でいうとその国に閉じこもる、それぞれの国がそれぞれの国ごとになる、ナショナリズムみたいな話もあるだろうし。でも良い点で言うと、ある意味ではローカル性の復活、みたいな話でもあるなと思うんです。

そのなかで、スタバじゃないんだ、八戸のお店と行政でやっていくんだ、というのは結構真面目にその流れの中にあるな、と思います。

 

朱:そうですよね。行政のお金の使い方としてもかなり画期的なものなんじゃないかなと思います。あえて大げさに言うと、本当に世界史の転換的な予感を感じていたからこそ、そこに時代精神の申し子たる三宅さんをお連れしたいという気持ちだったのかな……と今思いました。

八戸ブックセンター中心史観を誰かが書けるかもしれない。ぜひ皆さんもそういうものに立ち会っているというつもりでこの街を観察して、味わっていただけたら面白いんじゃないでしょうか。

 

三宅:21世紀の新しい「バザールとクラブ」ですね。

 

 


 


おしゃれな本屋さんの「敷居」をそっとまたぐには

 

質問者4:くだらない質問で恐縮なんですけど、最近独立系書店さんだったり、すごく素敵でおしゃれで、非常に敷居が高そうな書店さんが出てきた中に、そういうお店での心の持ち方じゃないですけど…。

ちょっとおしゃれすぎて入りにくいとか、どういうお店なのか知りたくて、店員さんとコミュニケーションを取りたいと思って、ちょっと声をかけてみたいけど、すごい怖いというか…。

そういうドキドキ感があるなと思う中で、お二人が書店を回られているというのがどういう思いだったり、どういう目線で見られているのか、ちょっと知りたいなと思って質問させていただきます。

 

朱:めちゃくちゃ大事な質問じゃないですか!ある意味で今日一番大事な質問かもしれない。

先にお客さん目線で行きましょう。

僕は初めてのお店入るときは、それは何のジャンルであれ、まず「観察」から入るべきだと思うんです。

いきなり店員さんに話しかけるとかはやっぱり向こうも警戒するし、新規客ってそういうもので、お互いに警戒心、緊張感があると思うんです。

その時に僕が自分の決め事として持っているのは、お店のミニマムルールに則った行為をするべきだということです。つまり書店だとしたら、まずは「本を売っててそれを買う」場所だというのが一義的なんだから、まずそれをちゃんとすべきです。

そのコミュニケーションから入らず、別の変化球が入るというのは、やっぱり相手にも負担を強いてしまうと思うので。

まずは本を選んで、普通に買う。

とりわけ個人でやってるお店の方って客をよく見ているので、何回かその行為を繰り返すと、あ、こういう本を選ぶんですね、というのが分かってきたりするでしょうし、そこで何を買うか、何を迷って見せるかに、ある種メッセージ性が生じると思うんですよ。

もし今後もそこに通いたいと思われるのであればですけど、何回かそれを続けてるうちに、「こういうのお好きですよね」って言ってくるかもしれないし、そういうコミュニケーションが生じる可能性があるんですよね。

2回目くらいだったら、「前回購入した本がよかったので」とか「この作家さん好きなんです」って一言添えてもいいかもしれない。

徐々に自我を出し始めていって、それにリアクションがあったら、そこに呼応してっていうふうにやっていくというのがいいので、敷居が下がる話じゃないですけど、敷居があると感じるからこそ、そのお店の本来のミニマムなルールに則るのが一番いいかな、と僕自身は思います。

 

三宅:すごいいい話だなと思って聞いていたんですけど、観察は私も重要だと思います。

書店さんだったら、その書店さんがどういう本の並べ方をしているんだろう、要は何を大事にして本を売ろうとしているんだろう、並べてるんだろうと。そういうのを見るのは大事。

書店の棚って無限にあるように見えて、結構小さいというか…。家の本棚を見るとわかると思うんですけど、置ける本って限られているので。そういう意味で、例えばよく見えるところに置いているんだ、こういう本を仕入れているんだな、ということをよく見ていくと、あ、こういう人がやってるところなのかな、と分かったりするので。まずは観察。

 

朱:その通り、確かにちょっと途中の話で、棚の選書とか、本の並べ方自体がめちゃくちゃ雄弁に物語るというものがあるので、それを面白がって見るというのが一番いいかもしれないですね。その表現の仕方は、それぞれだと思うんですけど。

 

三宅:見た目のおしゃれさに、ハードルを上げ過ぎず、そこらへんを楽しんでみてください。

 

 


 


お仕事しながら、もっと楽しく本を読む工夫

 

質問者5:隠さずに言うと、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を去年読んで感銘を受けて、全身全霊で働きすぎて本を読めていなかったなということをここ10数年、大学生の頃は4年間で100冊、そんなに多くないんですけれども、月に2冊ぐらい読んでいたのに、社会人になってから読めてなかったなと反省して、今、半身で働けるようにがんばっています。

その中で、実は会社の中で読書が推奨されていまして、本を1冊読んで読書感想文をA41枚くらい書くと1,000円もらえます。

だけどあまり使われていなくて、過去10年ぐらい私がいっぱい出しているだけなんですけれど、ただ、社会人になってからフィクションをあまり読めなくなったというか、自己啓発本とかハウツー本、本にも書いてあったんですけれども、そういったものばかり読んで、自分は手当のために読んでいるのかなというも感じて、最近読んでなかったりしました。

ということで、質問が何かこの社会人が本を読めるようにするために、会社側ができることとか、何かすごく具体的になってしまって、俗物的で申し訳ないんですけれども、何か社員に向けてとか、社会人がビジネスの場で本を楽しんで読めるようにするお話が何かあればいいなと思ってご質問させていただきました。

 

三宅:すごい!読書感想文を書いて千円は結構割がいいですね。

とてもいい取り組みだと思います。

よく私が聞くのは、社内読書会みたいなのをやっていらっしゃる会社もあって、それの何がいいのかと言うと、課題本を決めて、何人かでその本について喋ると、あんまり立場に関係なく、本の感想という体なら喋れるみたいなコミュニケーションのあり方があるんですよね。

その読書会があるからこの本を読むか、というふうになることがあると思うので、そういうコミュニティを作っちゃうみたいなのもありですし。それが盛り上がってきたら、じゃあちょっと本棚作ってみるとか、会社に本を置いてみる、みたいなこともしやすくなる気がするので。読書仲間を徐々に見つけていくぐらいからはじめるといいのかもしれませんね。

 

朱:面白いですね。私、わりと企業講演とかに呼ばれがちでして、特に「バザールとクラブ」の話はビジネスの人に響くものがあるみたいです。

どういうことかざっくり言うと、今ってどんな会社もやっぱり当たり前にコンプライアンスとかいろいろなことが言われる中で、その会社らしさとか、その会社の、何か自分たちらしさみたいなことが薄れがちだったり、いろんな形で社員もあんまり束縛しない方がいいかなということで、逆に会社らしさとか、自分たちは何を大事にしているんだろうとか、見えづらくなっている面があって、やはり上長と部下の関係ってなかなか難しいみたいなことがあるときに、その会社が一つのクラブとして機能しにくくなったということを経営者の皆さんがおっしゃるんですよね。

そうするとやっぱり確かに会社はバザール的な言葉でしゃべる場所になってきて、差別化ができなくなり、なかなか若手が引き留められないという問題などが出てくる。

どうやったら、また会社にクラブ的な言葉遣いを持ち込めるんだろうという相談と受けたりします。

そんな関心を背景に、僕の答え方も三宅さんの話と似ていて、いきなり話してくださいといっても誰もそんなに話してくれるわけないから、何か迂回するものが必要で、その一つがやっぱり本っていうのがある。一緒に本を読んだり、何かひとつの対象のものに対してみんなで話すということがありえたりするので。

仕事と関係ないことだからこそ、私的な話ができるとか、その人の価値観について話ができるかもしれない。

それが開陳されることによって、こういう価値観を持った人たちでチームを作っているんだねということをだんだん見えるかもしれない、ということです。

会社の中で、どうやってクラブ的な、ある種、本音まで言わなくていいんですけれども、大事にしているものを話せるような場所を作るべきだというのは結構皆さん悩んでいることがあると思うので、そこと本という機能は重なる部分があるかもしれないなというふうに思いました。

そして、その取り組みが続いたのがうれしいですね。

 

質問者5:じゃあ、まずは読書会クラブみたいな会員制クラブを作って、まずこちらの本から読んでみようかと思います。ありがとうございました。

 


 


自分にぴったりの出版社やレーベルを見つけるコツ

 

質問者6:私も今回の話を聞いて、これから書店というのは博物館化していくんじゃないかと個人的にはずっと思っていて、とても面白かったです。

質問なんですが、最近私は書店で本を探したりするときに、出版社さんを主に見たりして選ぶようになってきたんですけど、この出版社さん、いつも面白い本を出してるな~とか思うようになったんですけれども、お二人は出版社さんを見て本を選んだりすることはありますか?

もしよかったら、お勧めの出版社さんとかもおしえていただければ。

 

朱:ポリティカルな質問だ(笑)でも、やっぱり今は答えづらいところがあって、それは出版社に配慮するというよりも、書き手側に回ると出版社の見え方がだいぶ変わっちゃうこともあるんですよね。

あえてそれを忘れて、かつてのってことでいうと、やっぱりレーベルごとのカラーみたいなものがあるんですよ。

例えば同じ新書レーベルでも、やはり岩波新書だったら学術色が強くて相当堅い内容かなとか、今またちょっと変わりつつありますが、講談社現代新書とかこうだなとか、それはレーベル側もやっぱり差別化する中で、自分たちらしい書き手とか、自分たちらしい本を作るという傾向はあると思います。

なので、出版社っていうレベルじゃなくて、例えば講談社でも選書メチエとか現代新書とか、そういう単位を「レーベル」と言いますけど、その単位ごとに、この「カラー好きかもな」と思うと、そんなに外さなくなる気はするので、出版社・会社単位よりは、その中でレーベルという単位に注目すると面白いかもしれないなと思います。

 

三宅:確かに。私もちくま学芸文庫はいい本出すなとよく思うんですけど、これもレーベルの話ですね。ちくま学芸文庫好きです。

 

朱:究極は人が作っているんですよね。だから編集者さんとか、そういうところに本当は個性が宿る面が多分にあって、その究極が今日のブックフェスにたくさん出店していらっしゃいますが、一人出版社とかそういう個人の編集者さんが自分自身で出版まで手掛けるというケースが、一番カラーが出やすい。

なので、そういうところで好きなものが見つかると、あ、この出版社いいな、この一人出版社とはずっとつきあえるなということがあるかもしれませんね。

ZINEとかもその究極ですよね。個人で出版していますから。それに出会える場でもあるかもしれない。今日のブックフェスをそういう見方で見ていただいても、面白いかもしれませんね。

 


 


紙の本ならではの「重さ」や「手触り」はずっと残る?

 

質問者7: 私は本を買うとき、基本目当ての作家さんのタイトルを狙って本屋さんに行くんですが、昔の人間なんで、やっぱり紙ベースの本が好きなんです。

本屋さんを訪れると、まずその本を手に取りますけれども、その他に歩き回って見たときに、装丁が気に入ったものとか、そういったものが目に入って、手に取って、その本の重さ、大きさで選んで本を買ったりすることもあります。

そういったことを考えた時に、最近電子書籍というのが出てきて、どっちかというとそちらが大勢を占めてきているかと思うんですけども。

本として私が読みたいのは紙ベースの実態があるものを求めているのですけど、ただ、読書という体験だと電子書籍も紙も同じで。

紙ベースの本が今後どのようになっていくか、というのをお二人はどのように考えられていますかという質問をさせてください。

 

朱:僕は紙の本が大好きなんですよ。大好きですし、色々な思い出がいっぱいあります。

重さや大きさの話をされていて、なるほど、と思い出したのは、中学生の時にブックオフで出会った京極夏彦の本のことです。講談社ノベルス版の。ビックリするほど分厚い書籍です(笑)

あれに出会って、この世の中にこんな物体があるんだ、と驚いたんです。

あれをむさぼるように読んだことは、やはり自分の読書の体験の1つですし、忘れがたい美しい記憶なんですけれど。

研究者になって仕事として本を読むようになってしまうと、仕事の本は紙の本で読まないと書き込みとかができないから、それはフィジカルで読むんですけれども、小説とか漫画とかは書棚のキャパもあって完全に電子にしちゃったんですよ。

あれほど大好きだったものも一回全部手放して、いまは手元に電子しかない。手軽に読めるけれど、それはやはり思春期に紙の本で読んだあの読書体験とは異なる。

特に京極先生とかは、ノベルス版と文庫版で判型全部変えたり、物体としての「本」にかなりフェティッシュにこだわる方ですよね。それがひとつの答えで、紙の本って相当にフェティッシュで、趣味的なものなんですよね。

それがあれだけの部数が刷られ続けられた時代が、もしかすると例外的だったかもしれなくて、これからはどんどんその趣味的で特別なものとして、高単価だけれども、そこに美的価値があるものという方向で残るのかなというのが個人的な感覚ですし、そのために買いたい紙の本ももちろんあると思うので、美的に優れている、という方に行くんじゃないかなという感じがしています。

 

三宅:確かに。ただ、電子書籍って思ったよりやっぱり読みやすくない、みたいな難しさがありますよね。私は読みやすいんですけれども。

 

朱:三宅さんは電子書籍をたくさん読みますよね?

 

三宅:私は読むんですけど、人々にとって。つまり電子書籍って、シェアとして思ったよりそんなに伸びてないなと感じます。

今後電子書籍が伸びていくのかなと思いつつも、紙か電子かということより、どうやったら文章ってみんな読んでくれるのかな?ということを、いつもこの話をすると考えますね。

 

朱:確かに今の話が、結構大事なポイントかもしれなくて、もっと大きな目線で、日本の小売全体とか見た時にも、いわゆるeコマース化、電子化率というのは、じつは全体で10パーセントくらいしかないんですよね。これだけ便利で、みんなやればいいのに、そんなに意外と伸びない。

で、多分書き手としてもそうですけれども、意外と電子書籍のパーセンテージってそこまでないですよね。

その点からすると、紙の本は部数は減らしながらもやっぱり残り続けるものでもあるかもしれないですね。

 

三宅:うーん。どうなっていくのでしょう…?

 

朱:制作コストが抑えられて、でもきちんと情報がある電子書籍と、物体としての質量と重感があるような嗜好品としての本というのと、二極化するような気もしますね。

 

 

◆プロフィール

朱 喜哲(ちゅ・ひちょる)

哲学者。1985年大阪府生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。大阪大学社会技術共創研究センター招へい准教授ほか。専門はプラグマティズム言語哲学とその思想史。著書に『人類の会話のための哲学』(よはく舎)、『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす』(太郎次郎社エディタス)、『バザールとクラブ』(よはく舎)、『100分de名著 ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』』(NHK出版)。共著に『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)、『世界最先端の研究が教える すごい哲学』『在野研究ビギナーズ』、『信頼を考える』(勁草書房)など。共訳に『プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか』(ブランダム著、勁草書房)などがある。

三宅 香帆(みやけ・かほ)

文芸評論家。1994年高知県生まれ。京都大学人間・環境学研究科博士前期課程修了。京都市立芸術大学非常勤講師。天狼院書店京都支店長、リクルート社を経て独立。小説や古典文学やエンタメなど幅広い分野で、批評や解説を手がける。著書『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』(サンクチュアリ出版)『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書。新書大書2025受賞作)『娘が母を殺すには?』(PLANETS)等多数。

 

 

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