朱喜哲さん×三宅香帆さんスペシャルトーク(4)書店の可能性 2


 

朱 喜哲さん(以下朱):この漫画はもう、本当に傑作中の傑作だと思うので、宜しければ皆さんに読んでいただきたいです。ネタバレっぽくなってしまうのですが、まさに「母もまたひとりの娘なんだ」ということがこの本の落としどころでありつつ、それが腑に落ちることが如何ほど難しいかという話なんです。そして、それが、三宅さんのご紹介を通じて、反復されるという面白い入れ子構造になっています。

三宅さんご自身の本も通じて、母とは一人の孤独な人間であり、私もまた孤独な人間であるという意味で、それぞれ内面を持った別々の存在だということを理解していくわけですね。

だから、そこが本というパブリックな公刊物を媒介して、人は孤独になれるっていうすごい作用だと思いますし、書店ってそういうパブリックとプライベートを架橋するということが起こり得る出会いの場所なんだなっていうのが、改めて紹介したい部分だと思いました。

 

三宅 香帆さん(以下三宅):よしながふみさんって『きのう何食べた?』とか『大奥』とか長編の漫画で知っていらっしゃる方も多いと思うんですけど、この『愛すべき娘たち』という漫画は、連作短編集で、1冊で終わる漫画なんですよ。

いろんな母と娘というのをテーマにした連作漫画なんですけれども。娘から見たら、母がなんでこんなことを言うんだろうとか、母親という存在が、ある意味ちょっと呪い的なものになっているような側面もある。その呪いを解く一つのきっかけとして、母親も別に神様ではないんだ、そんなに大きな存在じゃなくて、それこそまた一人の娘である、不完全な人間なんだと気づく。この話が、私は好きなんです。

朱さんはどこでよしながふみさんの作品と出会ったんですか?

 

朱:僕にとって一緒に育った本や漫画は、基本的に母の蔵書だったので、ほぼ女性書き手の作品だったんですよね。

漫画とかさくらももこさんのエッセイとか、そういう、ジェンダー的には女性の方、しかもそれが割と家庭に押し込められたりするタイプの人が読むようなもので育ったところがあって。

よしながふみさんは世代的にも直接母が読んでいたわけじゃないんですけど、その文脈の中で出会ったし、読んだ時にものすごく腑に落ちるものがあったので。

だから三宅さんの『娘が母を殺すには?』には、典型的な想定読者ではないでしょうが、じつはとてもシンパシーを持ったんですよ。

 

三宅:言葉の共有という感覚はすごく分かります。もちろん朱さんと私が同じ境遇では全然ないので、違う話だと思うのですが。一方で、やっぱり私たちの世代で、父親とはそんなにボキャブラリーを共有していないと感じる人もいるんじゃないかな。

ただ母親のボキャブラリーに支配されてしまう人もいるのではないか。といっても悪い言葉で言うと「支配」ですけど、それは教育でもあるんですよ。

私は娘が縛られてしまうこと自体が悪い、支配してしまうこと自体が悪いと思ってないんです。それよりも、そこから抜け出すタイミングがないのはまずい、と考えているんです。

そのとき、「読書」で他の人の言葉を読むことが、母親のボキャブラリーから外れるための、簡単で、身近な手段だと思うんですよね。

例えば自分にとっても、漫画は母親と共有するものだったんです。本の中でも言及している萩尾望都さん、山岸涼子さんは元々母の蔵書から読んでいた。でも、そこで母と違う価値観を教えてもらった。自分の親の価値観が当たり前だと思い込んでいたところに、世界に存在しているのは親の価値観だけではないんだいうことを、十代の頃に漫画とか本とかを通して教えてもらったな、と思っていて。

そういう意味で、よしながふみさんの作品は、ちょっと不思議な、大人になればなるほど、そういうことだったのか、と気づくことがたくさんあるんですよ。

 

朱:確かに。まさに萩尾望都さんの『イグアナの娘』とかを含めて、様々な作品を読み解かれているので、是非お勧めします。特に地方育ちの母娘関係がある人にとって、解毒作用のような効果がある本だと思うので、選書のなかで紹介したいなと思ったんです。

 

三宅:この本を出版して気付いたんですが……もともと、女友達の母娘関係は話を聞くことが多かったんですよ。大学に行く時にお母さんにこんなこと言われた、とか。

でも、この本を出してから意外と「実は僕も母親と…」という男性たちの告白が私のもとに集まるようになって。ある種の息子たちにとっても母親とは呪縛になってたんだなあと初めて気づきました。

 

朱:まさに喚起してくれています。呼び水ですね。

 

三宅:意外と母・息子にとっても普遍的な問題なのかなと、本を出して気づいたところがありました。

 

 

・2

 

 

◆プロフィール

朱 喜哲(ちゅ・ひちょる)

哲学者。1985年大阪府生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。大阪大学社会技術共創研究センター招へい准教授ほか。専門はプラグマティズム言語哲学とその思想史。著書に『人類の会話のための哲学』(よはく舎)、『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす』(太郎次郎社エディタス)、『バザールとクラブ』(よはく舎)、『100分de名著 ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』』(NHK出版)。共著に『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)、『世界最先端の研究が教える すごい哲学』『在野研究ビギナーズ』、『信頼を考える』(勁草書房)など。共訳に『プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか』(ブランダム著、勁草書房)などがある。

三宅 香帆(みやけ・かほ)

文芸評論家。1994年高知県生まれ。京都大学人間・環境学研究科博士前期課程修了。京都市立芸術大学非常勤講師。天狼院書店京都支店長、リクルート社を経て独立。小説や古典文学やエンタメなど幅広い分野で、批評や解説を手がける。著書『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』(サンクチュアリ出版)『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書。新書大書2025受賞作)『娘が母を殺すには?』(PLANETS)等多数。

 

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