朱喜哲さん×三宅香帆さんスペシャルトーク(3)書店という場所 2
可視化されるケアの形

朱 喜哲さん(以下朱):いい話ですね。それに絡めて本とつなげたいんですけど、お金が絡むことって結構大事なことがあると思っています。やっぱり対価を払っているとか、それが商品であるということが結構大事で、それによって何か利益を受けているということがはっきり可視化されるじゃないですか。
ローティの「バザールとクラブ」論で、公共的空間と私的空間を両方とも商業モチーフで例えることの意義のひとつだと思っているのは、バザールにしてもクラブにしても、どちらもホスト役というか、もてなす人がいる、つまりケアがあるわけです。
人に気を使ったり、いただいた対価に対してサービスを提供したりというふうに、広い意味でのケア労働がどちらにおいても必要なんです。
「バザールとクラブ」の比喩を採用すると、パブリックな方にもプライベートな方にも、どっちにも「ケア」というものが不可欠だということが少なくとも問題としては可視化できます。そして、それって実は女性ばかりが担わされてきていませんか?とか、さまざまな論点が喚起できるモデルだから面白いと思うんです。
この文脈から、推薦図書にも絡めると、ヴァージニア・ウルフの本にもつなげられると思います。
「ケアの倫理」の示唆を含めて、いま「ケア」というものの価値とその配分を問い直すとき、ヴァージニア・ウルフにとって「自分自身の言葉を持つためには『自分ひとりの部屋』がいる」という話は重要でしょう。ケア労働に追われる人にとって「本」というものが果たす役割というのは、三宅さんがずっと著作の中で意識されているモチーフだと思うんですけれども、それについてはどうですか。
三宅 香帆さん(以下三宅):「バザールとクラブ」について、私も前々から朱さんの本を読んだり、「100分de名著」も観たりして、理解が進んで。
どちらもお店的なものではありますよね。仕事場でも、学校とか家でもない、サードプレイスみたいな言い方をしたりもしますけれども。そこに行って初めてひとりになれる人も、結構たくさんいますよね。誰かとつながるためではなく、ひとりになるためのサードプレイス。
私自身も、中高時代に部活や人間関係がつらくなった時、一旦古本屋で漫画を読むとか、書店で立ち読みして、そこからじゃないと家に帰れなかった時期がありました。
部活も勉強も忙しいから、第三者から見たら削れる時間ではあるんですけど、少しでも立ち読みして、本を買って帰ったりする時間がやっぱり大事だったなと思っていて。
朱:すごくいい話ですね。まさにそこはいわゆる会員制クラブみたいにもてなされるわけではもちろんないんだけど、でも、その場でほっといてもらえて、一人になれる。本と向き合うことで、一人になれる場所があるっていうことですよね。
三宅:自分にとってはそういうものが地元の書店とか古本屋だったけれども、人によってはまた別の、バーやカフェに行くという人もいるでしょうし。もしかしたら知らない人と喋る、みたいなことかもしれないですし、そういう場って意外とありますよね。
朱:つまりそれは会員制というところにポイントがあるのではなくて、自分自身の言葉をしゃべれる場所とか、言葉を持てる場所という意味なんですよね。クラブだからある意味安心したのか、油断しているのか、本音がしゃべれちゃう。
それは危ういことでもあるんだけど、それが使える場所があるから初めて自分の内面が生まれ得るし、それによって初めて変わり得る余地も生まれるというところが重要で、そうするとやっぱり立ち読みできる書店というのも自分の内面の言葉を得る場所でもあるということです。
三宅:本当に。これはバザールとクラブ論を読んだときにも思ったし、朱さんと私の一番違いでもあると思うんですけど…。ローティはどういう性格だったのかわかりませんが、すごく社交的な人だったんだなと思って。
というのも、クラブというのは、仲間内とはいえど、顔見知りの集まりに行ったら、すごく自分を出せるみたいな話じゃないですか。
飲みに行くのが得意な人もそうだと思うんですけれども、私は意外と人と喋るとかよりも、やっぱり一人で書店に行く方が自分自身になれるみたいな感覚があります。根暗なので(笑)。
そこは朱さんと私の一番の違いかなと思ったりもするんですけど、そういう意味でクラブっていう比喩は、意外と書店的な、要はしゃべらない場所っていうのにも適応できるのかなと思いました。
朱:言葉遣いとか、ボキャブラリーにアクセントを置くと、それもクラブとして考えうるので、書店さんとかもそうですね。
三宅:そうですよね。ボキャブラリーですよね。
朱:そこがこの論のポイントなんです。この場所がバザールなのかクラブなのかということよりは、どんなボキャブラリーが使える場所なんだろうということに軸があるというのが、僕自身の理解ですね。
三宅:そうですよね。朱さんは初めて行った飲み屋さんとかでも、己のボキャブラリーを使える人ですか?
朱:いや、それはちゃんと見極めますよ(笑)。その場で流通しているボキャブラリーをちゃんと観察しながら、ここは乗っかってみようとか、今日はちょっと黙っておこうとか。
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◆プロフィール 朱 喜哲(ちゅ・ひちょる) 哲学者。1985年大阪府生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。大阪大学社会技術共創研究センター招へい准教授ほか。専門はプラグマティズム言語哲学とその思想史。著書に『人類の会話のための哲学』(よはく舎)、『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす』(太郎次郎社エディタス)、『バザールとクラブ』(よはく舎)、『100分de名著 ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』』(NHK出版)。共著に『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)、『世界最先端の研究が教える すごい哲学』『在野研究ビギナーズ』、『信頼を考える』(勁草書房)など。共訳に『プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか』(ブランダム著、勁草書房)などがある。 三宅 香帆(みやけ・かほ) 文芸評論家。1994年高知県生まれ。京都大学人間・環境学研究科博士前期課程修了。京都市立芸術大学非常勤講師。天狼院書店京都支店長、リクルート社を経て独立。小説や古典文学やエンタメなど幅広い分野で、批評や解説を手がける。著書『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』(サンクチュアリ出版)『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書。新書大書2025受賞作)『娘が母を殺すには?』(PLANETS)等多数。 |












