朱喜哲さん×三宅香帆さんスペシャルトーク(1)本と読書の意味 2
選書について

朱 喜哲さん(以下朱):三宅さんとここに臨むのであればこのテーマかなと思ったのが、今回の「本と読書と書店 私と世界をつなぐもの」でした。本って不思議なもので、読むときは一人で読むしかないし、書くときも一人で書くものなんですけれども、それを通じて世界とつながるとか、孤独なのは自分だけじゃないんだと知るとか、私的なものと公共的なものとをつないでくれる役割があると思うんですね。
三宅さんのご著書を拝読していて、どの本にも通底するのが、「私」の話ももちろんされているんだけれども、常に今の世の中で、日本語にない言葉遣いや、なかったことにされているものについての語りをつくるんだという、公共心あふれる書き手だなというのを最初に読んだ頃からずっと思っていたんです。今回は私的なものと公共的なものの間というテーマで、三宅さんにも選書をしていただきました。
三宅 香帆さん(以下三宅):我々が選んだ10冊が並んでるリストがあります。それぞれ10冊選んだんですけれども、結構性格が出ますよね。面白い。
朱:意外と共鳴するものがたくさんあると思います。
三宅:私は朱さんの選書のなかで、中村英夫さんの『虚無への供物』(上・下)が入っているのが気になりました。
朱:これは9月に青森で本を紹介するなら入れないわけにいかないと思ったんです。洞爺丸沈没事故、かつての青函連絡船の沈没事故が物語の背景にあるミステリ(推理小説)です。現実に起きてしまった悲劇というものをどうやって乗り越えるのか、それをどうやって人間は意味づけるのかというのが、ミステリでもあるわけで、まさに公共的なところで起きてしまったことをどうやって私的に意味づけるんだろうという、祈りとしてのミステリ(推理小説)という感じで私は非常に好きなんです。まさに青森で、それも9月に沈没事故が起きていますから、これは入れなきゃいけないなと思いまして。
三宅:私の選書で言うと、帯コメントを書かせていただいた『ブレイクショットの軌跡』。この小説は、例えば個人同士の関係、あるいはSNSで話される言葉とか、個人の行動が、実はすごく大きな流れの中にあることを示した作品なんです。公共性というか、実は個人個人が集まったものが社会の流れみたいなものを作っている、ということがテーマになっている小説。私的なものと公共的なものが、この物語自体の主題なんですよね。私が好きな物語のタイプって、割とそういうものが多いなあ、と今回気付きました。
朱:三宅さんが個人としてこの作品を推したことがきっかけとなって、増刷がかかって、特別に三宅さんたちの熱い声が書かれた帯がかかったんですよね。まさに私的なパッション=推しの気持ちを出して、それが増刷につながっていくという流れでした。
私が推している作家の向坂くじらさんは、『群れから逸れて生きるための自学自習法』という本のなかで、「勉強とは群れから外れて生きるため、孤独になるためにするんだ」っておっしゃっているんです。
これはまさに三宅さんの代表作である『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』のなかで、本を読むことで、人は自分自身になれる。今の社会の構造の中では、特に女性はそれを持ちづらいからこそ、本を読む機会を作りたいと私は思うし、本を読む、それを表現する言葉遣いを紡ぐんだ、という風に書かれていまして、すごく共鳴するなと思いまして。
勉強するというと、一般的には「外の世界」の知識を知ることだと言われがちなんですけど、学ばないと自分の「内面」それ自体ができないとも言えると思うんですね。『群れはぐ』で面白いのは、同書では勉強するというのは「内側の論理」を学ぶことだと言うんです。
これは同書を向坂さんと共著で書かれた、向坂さんの学生時代の塾の恩師である柳原浩紀さんの言葉づかいなのですが、どういうことかというと、勉強することによって、自分の外にも世界があって、そこに生身の人たちがいて、そしてそこにも「内面」があるということを学ぶんですよね。
それによって自分の外側にも内面なるものがあるんだということを発見できる。これが翻って自分に返ってくるというか、まさに他にも人がいるんだということを知るという意味で、公共性を学ぶことなんですよね。
三宅: 今聞いていて思ったんですけど、やっぱり勉強したり本を読んだりすることは、自分自身を知るってことでもある一方で、意外と外部のもの、つまり他人を知ることによって、自分のことが一周回ってわかる瞬間がある行為でもある。
小説の中の最初は共感できないと思っていた登場人物も、いろいろな展開を経て「別に共感はできないけど、理解はできるな」みたいな瞬間があったりしますよね。それって小説を読む一つの意味だなと思います。
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