【マイブック推進事業】ブックリスト「本はともだち2022」 保護者の方向けおすすめコメント
2022.06.23
八戸市内の小学生に、本が購入できるブッククーポン券を配布する「マイブック推進事業」。2014年から始まり、今年で9年目を迎えます。
2017年からは、クーポンとともに、おすすめブックリスト「本はともだち」を配布。小学生のみなさんに、「読んでみたいなあ」と思ってもらえるようなリスト作りをめざし、選書やレイアウトをしています。
今回、おもな選書を担当した、八戸工業高等専門学校教授・戸田山みどりさん、八戸ブックセンターの森花子による、保護者の方向けのおすすめコメントを作成しました。本を選ぶ際の参考にしてみてください。
ものがたりをたのしもう!(みどりのページ)
『おひめさまになったワニ』
ローラ・エイミー・シュリッツ/さく ブライアン・フロッカ/え 中野怜奈/訳 福音館書店
アメリカの作家と絵本画家によって描かれた現代的なおひめさまの登場する物語。困ったおひめさまを助けてくれるのが妖精の名付け親であるということは、シンデレラやいばら姫のような伝統的なフェアリー・テールのパターンを踏んでいますが、それ以外は様々な点で21世紀的な作品です。まず、コーラひめを困らせているのは継母や意地悪な妖精ではありません。教育熱心な実の両親である王様と女王様です。さらに、コーラひめの苦難は王子様との結婚で報われるのではなく、友達(ワニと犬ですが)を得ることと自分の時間を持てることで軽減されます。最後に、コーラひめはとてもかわいいおひめさまですが、生まれた時から女王になる運命です。両親が教育熱心なのは、コーラひめが将来「りっぱな女王になる」ようにするためでした。つまり、この国では、性別に関係なく生まれ落ちた順に王位に就くことになっているのでしょう。名付け親の妖精はコーラひめの性格をよく理解しているようです。まじめで思いやり深いコーラひめは、両親を悲しませたくないあまり、自分の辛さを訴えることができません。名付け親は、コーラひめに欠けているもの、つまり腕力と図太さを兼ね備えたワニを贈ることでコーラひめの窮地を救うのです。ワニを贈ってくれる名付け親のいない子どもは、この本を読んで心の中にワニを飼えるようになってほしい、というのが、作者の願いではないかと思います。
『きつねのぱんとねこのぱん』
小沢正/作 長新太/絵 世界文化社
1973年に出版された絵本の復刊。世界一美味しいパンを目指して張り合うきつねとねこは、悲壮なほど思い入れが激しいのですが、長新太が描くと、なんとも言えないユーモアに包まれます。全編ひらがななので、初めて本を読む年頃の読者でも楽しめます。巻末には長新太の絵本を手がけた編集者に話を聞く「スペシャル対談」が掲載されていて、この作品の魅力のポイントや長新太の創作のエピソードなどを読むことができます。
『みちとなつ』
杉田比呂美/さく 福音館書店
都会のマンションでお母さんと二人暮らしをしている物静かな少女・みち。都会から遠く離れた海の近くで大家族で賑やかに暮らす活発な少女・なつ。二人には、きれいな石やガラスのかけらを集めるという共通の趣味がありました。そしてその趣味が、遠く離れた二人を結びつけてくれることになるのです。
文字が少ない絵本ですが、杉田比呂美さんのイラストが映え、1ページ1ページゆっくりと味わいたくなります。低学年の子どもたちだけではなく、中学年、高学年のみなさんにもぜひ開いてほしいなと思います。生活環境、家族構成、全く違っても、ともだちになるきっかけはあるということだけではなく、自分が大好きなことをずっと大事にしてほしいというメッセージも感じられる一冊です。
『はっぴーなっつ』
荒井良二/作 ・絵 ブロンズ新社
これまでに100冊以上の作品を発表してきた荒井良二さん。これは今年の3月に出版された最も新しい作品です。今回の作品のテーマは季節の移り変わり。主人公の「わたし」と一緒に、読者は新しい季節の気配に耳をすまし、招待状に導かれてそれぞれの季節を堪能します。春の物音から始まり、1年がめぐって、雪の中に引きこもって過ごす温もりの中に、次の季節である春が再びやってくる循環が描かれます。描きこまれたカエルやリス、小鳥といった小動物や、遠くを走るバスや船の姿に、この世界が様々な命に満ちていることをひしひしと感じます。文字を追うよりも、まず絵をしっかり眺めて楽しみたい絵本です。
『おとなってこまっちゃう』
ハビエル・マルピカ/作 山本美希/絵 宇野和美/訳 偕成社
メキシコ発の威勢のよいホームドラマです。9歳のサラ・アメリアはシングル・マザーのママとお手伝いのデルフィーナに育てられています。ママは弁護士ですが、弱い立場にいる女性たちの依頼を引き受けることも多く、家計は豊かではありません。消防士の仕事が好きでユニークで陽気なパパも、そんなに余裕はありません。サラは小学生ですが、大人の事情がよくわかっています。でも、どうしても理解できないのは、なぜあんなに仲が良かったパパとママが別れてしまったのかということ。そして、物理学者のおじいちゃんが再婚しようと思っていると宣言した途端に、なぜママが猛烈に不機嫌になったのかということです。正義派弁護士で、差別の問題にも敏感なママなのに、父親が娘の自分と同じくらいの年齢の人と結婚する、ということに耐えられないのでしょうか。というわけで、サラやその友達から見ると、大人たちはよくわからないところで問題をややこしくしているように見えます。ゲイであることを父親にだけは言えないでいるママの弟や、妹の家にお客に来て、遠慮なく自分のペースを貫くおじさんなど、登場する大人たちがそれぞれに個性的です。悪気はないのだけど一筋縄ではいかないところが「こまっちゃう」理由です。何かとエルトン・ジョンの曲のタイトルを引き合いに出すパパのおかげで、軽快なBGMが随所に流れてくるようです。少し大人の世界に興味を持ち始めた読者にお薦めです。
『博物館の少女 怪異研究事始め』
富安陽子/作 偕成社
幕末から明治にかけて激動の時代という言い方をしますが、その中にいた人にとってはどれほど大きな変化だったでしょう。この物語の主人公の少女イカルは、両親を亡くし、明治16年に大阪から東京に移った時、利用したのは汽船でした。まだ鉄道は横浜までしかなかったからです。横浜から品川までは鉄道で、そのあとは馬車鉄道で上野まで。戊辰戦争で焼け野原になった上野の山には、すでにイギリス人ジョサイア・コンドルの設計による東京国立博物館の前身が開館していました。イカルは大きな骨董屋の娘。身を寄せたのは、母方の遠縁である河鍋暁斎の妻の実家。ということで、たちまち暁斎の娘であるトヨ(のちの暁翠)と知り合い、さらに博物館の館長に出会って道具の目利きの腕をみこまれます。そして、博物館のバックヤードの収蔵庫で収蔵品の整理を手伝うことになるのでした。様々な理由で展示できない品物の管理を任されているのはトノサマと呼ばれるかつての幕府の旗本、織田賢司。戊辰戦争では幕府軍の一員として上野に立てこもり、最後には榎本武揚とともに北海道で戦ったという人物。それが、博物学の知識を買われて、今では明治政府の大型プロジェクトの一つである博物館で学芸員として働いているのです。
展示できないものの中には怪しげないわくつきの物件も含まれていました。行方不明になっていることが判明した黒いてばこもその一つ。てばこの行方を追ううちに、イカルとトノサマ、そしてトノサマの使用人であるアキラは、不思議な事件に巻き込まれます。不思議なことが日常生活と地続きで起こる富安ワールドに、歴史上の実在の人物や実在の土地が加わって、さらに奥深さが増しています。正式に博物館に採用されたイカルの活躍は、今後まだまだ続きそうです。
物語の舞台である東京国立博物館(通称トーハク)は、今年創立150周年を迎えました。トーハクのサイトにはこの150年で収集された国内外の名品の中のさらなる名品が写真で多数紹介されています。イカルが魅了された博物館の「ええもん」とはどのようなものだったかを、サイトの写真で眺めて見るのも楽しいでしょう。修学旅行などで東京に出かける機会がありましたら、ぜひ、上野の博物館を訪問して現物をみてもらえたら、と思います。
『すみれちゃんとようかいばあちゃん』
最上一平/作 種村有希子/絵 新日本出版社
すみれちゃんがようかい村と名付けた山の中の村にひとりで住むひいおばあちゃん。杖は使いますが、家のことはなんでもします。ようやく山にも春がやってきた頃、すみれちゃんは初めてひとりでお泊まりすることに。四股を踏んで山の天狗さまに挨拶をしたり、狐の嫁入りを見たり・・・。すみれちゃんにとって、おばあちゃんは不思議な力を持つ「ようかい」のように見えるのです。たっぷりの自然の中、おばあちゃんの手作りの焼きもちを食べて、すみれちゃんは、大満足。おばあちゃんにとっても、全身で山の暮らしを楽しむすみれちゃんは可愛くて仕方がないのでしょう。お父さんお母さんは送迎するだけ。子どもがひとりで未知の世界を体験することで、ようかいばあちゃんの底力が引き出されているようです。
作者の最上一平さんは山形県出身。ですので、ようかいばあちゃんのセリフは山形弁が入っているかもしれませんが、ぜひ、それぞれのおばあちゃんを思い出して声に出して読んで見てください。続編として、お盆に泊まりにいく『ようかいじいちゃんあらわる』、お正月に泊まりにいく『ようかい村のようかいばあちゃん』もあり、ますますおばあちゃんが活躍します。
『あしたもオカピ』
斉藤倫/作 fancomi/絵 偕成社
動物園に夜が来て、不思議な形の月が登りました。四葉のクローバーのような形のその月の夜には、動物たちの願いがかなうのです。オカピが願ったのは、すべての檻の鍵が開くことでした。そして、いろいろな動物たちの願いがかなう場面に立ち会います。オカピにはちょっとした悩みがありました。とても変わった姿をしている珍しい動物なので、よく他の動物に間違われるのです。自分が本当はなんであるのか、このままで良いのか、確信が持てないのでした。でも、他の動物たちの様子を見ているうちに、みんなそれぞれが自分のままでいて良いのではないかと思い始めます。幼年童話ですが、一人で読むのにふさわしい、自分とは何かを考えさせるお話です。
『タヌキの土居くん』
富安陽子/作 大島妙子/画 福音館書店
さんかく山のふもとの小学校。4月の新学期のある朝、アカネちゃんが教室に入ろうとすると、普段土居くんが座っているはずの席に別の誰かが座っています。な、なんとタヌキ! 実はそのタヌキはれっきとした「土居くん」。「なかよく、元気に、しょうじきに!」という、教室に貼られた今学期の目標を守るべく、土居くんは正直にタヌキの姿でみんなの前に現れたのでした。本来の姿になった土居くんは、本領発揮! タヌキらしい動きや特技でクラスを盛り上げてくれます。そして、そんな土居くんをみて、正直になろうと思った人たちがいて・・・?(続きはぜひ読んでのお楽しみ。)
文章を手掛けたのは、児童文学作家の富安陽子さん。25歳でデビューしてから、「シノダ!」シリーズ(偕成社)、「妖怪一家 九十九さん」シリーズ(理論社)など、たくさんの人気作品を生み出してきました。富安さんの作品はどこかクスッと笑ってしまう、そしてぐいぐいと引き込まれ最後まで読みたくなるようなものばかりですが、今回の『タヌキの土居くん」は、面白いだけではなく、読み終えたあと、どこかほんわかした気持ちになれる一冊です。
物語をさらに楽しくさせてくれるのは、大島妙子さんの描くタヌキや子どもたちの姿。ほわっとした土居くんの雰囲気、びっくりしたり笑ったり、時に泣き出したりの子どもたちの生き生きとした表情は、大島さんだからこそ描ける世界だなあと思います。そんな富安さんと大島さんは、人気シリーズ『オニのサラリーマン』(福音館書店)でもタッグを組んでいます。もし『タヌキの土居くん』を気にいったら、次はぜひこちらも手に取ってみてほしいです。
『お江戸豆吉 けんか餅』
桐生環/作 野間与太郎/絵 フレーベル館
お江戸は日本橋の菓子屋の名店「鶴亀屋」の若旦那は喧嘩っ早いのが玉に瑕。奉公に上がったばかりの豆吉は、大柄で声の大きい若旦那が怖くてたまりません。ところが、店先で派手に喧嘩を始めてしまった若旦那は大旦那に店を追い出されて、下町の小さな店で出直すことになり、なんと豆吉はそのお供に指名されてしまいました。実は職人としては腕の確かな若旦那の元で、おっかなびっくりの修行が始まります。粋で勝気な近所のお姉さんたちや、くだんの喧嘩の相手だった大工の辰五郎に至るまで、お店の贔屓客が確実に増えていくのは、豆吉の誠実さの結果でもあります。声に出して読みたくなる江戸っ子言葉の生きの良さや、和菓子の作り方の描写、そして当時の生活を説明している「豆吉のお江戸豆ちしき」のコーナーなど、家族みんなで読んで楽しめます。続編の『お江戸豆吉 のろいのまんじゅう』では、さらに威勢の良い登場人物も加わって、お江戸趣味が深まります。
『レッツキャンプ』
いとうみく/作 酒井以/絵 佼成出版社
舞台は山のキャンプ場。まだ春といっても夜は冷え込む時期に、小学4年生の晴斗(はると)は気の進まないキャンプに来ています。誘ったのは、先月、晴斗の母と再婚したばかりの大介君。男二人のキャンプで家族としての関係を深めたいようです。しかし、若い新米の父親にはどうやらキャンプの経験もなく、じゅうぶんな準備もないらしいことがわかってきます。一方、隣のテントの父と息子は、キャンプの経験が豊富で、晴斗たちの窮状を救ってくれます。でも、こちらの親子の間にも、微妙に気まずい空気があることが、やがて伝わってきます。ふた組の父と息子を通して、山のキャンプ場でなければ得難い、母親抜きで向き合う時間を、ちょっとしみじみと、そしてかなりコミカルに描いています。
『あしたのことば』
森絵都/作 小峰書店
ことばをめぐる短編小説集。8編の作品は現代の子どもの日常から、こりすが絵を描くファンタジーまで、さまざまです。どの作品も含蓄がありますが、出色は最初に掲載されている「帰り道」でしょう。二人の小学生男子が、それぞれの視点からそれぞれに語る事情が併記されているこの形式は、かつての傑作『にんきもののひけつ』『にんきもののねがい』(ともに1998年出版)を彷彿とさせます。「にんきもの」のそれぞれの主人公たちにとってはバレンタイン・デーのチョコの多寡が悩みのタネでした(少なくても不満だけど貰いすぎるのも負担という)が、さすがに高学年の律と周也の場合はもう少し複雑です。思わず口にしてしまったことばが相手を傷つけてしまったらしいとき、どうすれば良いのでしょう?男の子たち二人は一緒に同じ時間を過ごすことで、居心地の悪さを乗り越えます。それぞれが相手の気持ちを推量し、同時に自分の気持ちをよく見つめているところが描かれていて、第三者である読者にそれぞれの心の動きが伝わります。この作品は市内の小学校で採択されている光村図書の6年生の教科書にも掲載されているので、すでに読んでいる生徒さんもいることでしょう。
他の作品も、ことばがあることによって、または、ことばがないことによって引き起こされる不安や、そこからの脱出が取り上げられています。ところで、「帰り道」では男子二人でしたが、「風と雨」では、女の子二人に、なんとおじいちゃんの視点も加わって、三人三様の解釈が語られています。「人生は長い。急いで周りと同じことをしなくても」というおじいちゃんの台詞は、当事者の子どもたちだけでなく、つい周りと比べてしまいたくなる子どもを取り巻く大人たちにこそ読んでほしい警鐘です。
8編の短編にはそれぞれ異なる画家によるカラー・イラストがつけられています。物語の世界にふさわしいそれぞれの作風の違いを見ることも、この本を手に取る楽しみの一つです。
『おじいちゃんとの最後の旅』
ウルフ・スタルク/作 キティ・クローザー/絵 菱木晃子/訳 徳間書店
2017年に80歳で亡くなったスウェーデンの作家、ウルフ・スタルクの最後の作品。訳者あとがきによれば、この、たいへん個性的な「おじいちゃん」のモデルは作家の祖父のようですし、そうなると、おじいちゃんを病院から脱出させる計画を企てる「ぼく」ことウルフこそ、作家の姿が投影されているのだろうか、と推測されます。しかし、あくまでも小学生であるぼくの視点から描かれているこの物語であっても、自分の寿命を意識せざるを得ないおじいちゃんの心境は、晩年に差し掛かっていた作家だからこそ描くことができたのかもしれません。体力には人一倍自信があったのに今では体の自由がきかないこと、病院の食事では好きなものが食べられないこと、なんとなく疎遠になっていていっこうに訪ねてこようとしない実の息子。おじいちゃんの苛立ちの原因は、どれももっともな理由があるのですが、腹立ち紛れにあたり散らされると、周りはすくんでしまいます。その中で、おじいちゃんの罵りの言葉ですら大好きな孫の「ぼく」だけが、おじいちゃんの望みをかなえようと決心します。これは、健康で、生きていくのになんの障害もない(ように見える)大人たち、老人や子どもに指図しようとする常識ある人々に対する、ささやかな反逆の冒険物語なのです。なので、結末はしんみりしてしまいますが、「ぼく」の活躍は痛快でもあります。子どもまたは老人に共感できる人であれば、大人の読者は大人なりに楽しめる一冊です。
みのまわりのできごと(あかのページ)
『おふろ、はいる?』
飯野和好/作 あかね書房
始まりは、いきなりドラム缶風呂。これはめったにお目にかかれませんが、お次は露天風呂で、温泉好きならば子どもでも見たことがありそうな風景です。おばあさんはお友達と温泉に、お父さんは子どもを連れて銭湯に、と、日常の中にお風呂が根付いている日本ならではの生活文化を紹介していきます。
ローマ時代のお風呂と江戸時代のお風呂のページは、子どもの読者には少し説明してあげた方が良いかもしれません。ヨーロッパでは今から約2000年前、ローマ帝国という大きな国が栄えていました。今のイタリアのローマを中心に、一番広い時ではアフリカの地中海沿岸やトルコ、西はスペインやイギリスの南部まで広がっていました。イタリアは日本と同じように火山があり温泉も湧きます。お風呂は身近だったことでしょう。そこで土木・建築に優れていたローマの人々は街の中に石造りの大きな浴場をたて、共同で利用しました。そこには、裕福な人も庶民も毎日通い、一種の社会場でもありました。また、図書館のように本を読めるところまでありました。ローマ帝国の人々はイタリアから遠いところでも、街を建設すると必ず一軒は共同浴場を建てていました。今ではそのような共同風呂の文化は廃れてしまいましたが、当時の様子はイギリスやドイツなどの遺跡で偲ぶことができます。一方、日本の銭湯は江戸時代に広まりました。江戸の町の人々は、毎日近所のお風呂屋に入りに行くことが習慣でもあり楽しみでもありました。ここでも入浴だけでなく、食事ができたり将棋を指したり他の人とおしゃべりをしたりできたからです。「ざくろ口」というのは、お湯が冷めにくいように浴槽のある部屋の入り口を低くして頭をかがめて入るようにしたものです。ローマ人もお江戸の人も、お風呂に入るのは基本的に陽のあるうちでした。まだ照明は高価だったからです。
さて、絵本では、突然山の中を掘り出す人が出てきます。登山の楽しみの一つである手掘り温泉です。たいていは河原にお湯が沸いているところで、石をどかして掘るようです。絵にあるようにすっぽり入れるまで掘るのはなかなか大変ではないかと思います。
最後に、今ではたいていのお家にいる「お知らせおねえさん」が登場します。「オフロガワキマシタ」という声の主はこんな姿だったのか。あらためて、毎日の生活の一コマが楽しくなる仕掛けです。
『ぼうさい 一生つかえる!おまもりルールえほん』
山村武彦/監修 the rocket gold star/イラスト 学研プラス
地震や津波のような頻度の低い大規模な災害だけでなく、大雨やキャンプでの天候の急変などの日常的に遭遇しそうな場面での対策まで、わかりやすい絵と言葉で解説されています。お子さんと一緒に通学路を歩いて点検してみたり、非常持ち出しリストと合わせてご家庭の備品を確認したり、など、毎年定期的に開いて末長く活用できる一冊です。
『ねこまたごよみ』
石黒亜矢子/作・絵 ポプラ社
数々の魅力的な猫の絵本を描く作者の石黒亜矢子さん。今回は猫の妖怪・ねこまたの一年のお話です。
生まれたばかりのねこまたの五つ子たちの成長と共におはなしが進んで行きます。絵本の隅々まで描かれるねこまたたち。まるで探し絵のようでとっても楽しい!ずっと眺めていたくなります。
さて、一見人間の世界と似ているように感じるねこまたの一年ですが、やっぱりどこか少し違うようです。そんな違いを見つけるのもワクワクしますね。
『はじまりはたき火 火とくらしてきたわたしたち』
まつむらゆりこ/作 小林マキ/絵 福音館書店
太陽と火を比べて見るところからはじまって、人類のエネルギー利用の歴史が描かれています。シンプルな言葉にイラストが情報を補っています。火のもたらした食生活の変化や容器・道具の技術に対する火の役割が述べられた後、火を確保するために行われてきた森林の伐採や石炭の採掘、そして化石燃料がもたらした煤煙の問題などが、わかりやすく説明されます。また、火だけでなく、動力としての風や水の力の利用も触れられており、最終的には電力となって私たちの生活を支えるエネルギー全般が紹介されています。そして、全てが地球という限られた範囲の中でのできごとであることを示して、水や空気といった環境全体を含めた地球の資源の貴重さを訴えています。
さらに詳しく知りたい読者のためには、「エネルギーとわたしたち」と題された解説がついています。こちらもルビがふってあるので、興味を持ったお子さんは自分でも読めるでしょう。前半でイラストによる全体の流れを把握しておくことで、詳しい解説も理解しやすくなると思います。さらに巻末には数百万年前から現在に至るまでの「世界のエネルギー消費量」のグラフが掲載されています。視覚化されることで、エネルギー問題の重大さを把握しやすく工夫されています。
エネルギーに関するそのほかの図書として、同じ福音館から絵本『エネルギーってなんだろう』 (福音館の科学シリーズ)、『風の島へようこそ』『みどりの町をつくろう』(アラン・ドラモンド/作、まつむらゆりこ/訳)が出版されています。小学校高学年の調べ学習の補助としては、杉並区立中央図書館が作成した「小学校高学年向けパスファインダー エネルギー問題について調べる」をインターネットで読むことができます。ここでは推薦図書だけでなく資料の集め方なども詳しく紹介されています。
『ヤマネコとアザラシちょうさだん』
五十嵐美和子/作・絵 PHP研究所
リュックを背負ったアザラシが倒れているところを、時計職人のおじいさんが助けます。食べ物と間違えてビニール袋を食べてしまったアザラシ。魚を食べて元気になったアザラシは、おじいさんに何かを伝えようとしますが、アザラシ語のため分かりません。こまったおじいさんは、世界中の言葉がわかるヤマネコを訪ねました。話によれば、今回のように海のゴミを食べてしまう海の生き物が増えて困っているとのこと。原因を調べるため「アザラシちょうさだん」となり、海を掃除する機械「ウミキレイ」を考えたのですが、
その組み立てには人間の力が必要で・・・。
環境問題に目を向けた一冊でありつつ、イラストのかわいさや親しみやすさで自然に読み進めることができる絵本です。絵本に登場する「ウミキレイ」という機械、モデルとなったのは、オランダの発明家であるボイヤン・スラットさんが発明した巨大な海洋プラごみ回収装置! ボイヤンさん含め最初はたった2人で始めたNPOは、賛同者や支援者に恵まれ、「世界のプラスチックごみの90%を回収する」という目標を20年で達成できるというシステムにまで成長しました。
アザラシたちが目標とする世界中の海からゴミを無くすということは、決して夢物語でも他人事ではなく、身近なことだと、子どもたちにも感じてもらえるはずです。
『ここがわたしのねるところ』
レベッカ・ボンド/文 サリー・メイバー/作画 まつむら ゆりこ/訳 福音館書店
世界中の12の地域の子どもたちが、それぞれの家で寝床についています。丁寧な刺繍の絵画は、それだけで見ていて楽しくなります。日本の子どもたちは畳の部屋に布団を敷いて寝ていますが、もしかするとそんな風にして寝るのは旅館に泊まった時か親戚の家に泊めてもらう時くらいになっているかもしれません。モンゴルの子どもたちも、この本にあるようなゲル(テント)で寝るのは特別な時に限られているというケースがほとんどでしょう。それでも、伝統的な生活の工夫の違いを見ることで、世界の広さを感じることが着るとともに、どんな場所でもみんな寝るという点では同じなんだ、ということに気づかされる一冊です。
『〈きもち〉はなにをしているの?』
ティナ・オジェヴィッツ/文 アレクサンドラ・ザヨンツ/絵 森絵都/訳 河出書房新社
ポーランドの作家とデザイナーによる作品。さまざまな「きもち」を不思議な形の生き物の姿で表して、それぞれにふさわしい場面で「なにをしている」か、描き出されています。〈よろこび〉はトランポリンで飛び跳ね、〈まんぞく〉は椅子にもたれてお茶を一服。一方、〈いかり〉は爆発し、〈にくしみ〉はつながりの糸を引きちぎります。簡潔な表現と落ち着いた色彩の画面とで、説明するのではなくイメージとして「きもち」を客観的にとらえようとしていると言えるでしょう。折ふしに広げて、自分の気持ちと向き合うゆとりを持ちたいものです。
『うちってやっぱりなんかへん?』
トーリル・コーヴェ/作 青木順子/訳 偕成社
北欧ノルウェーに家族と共に暮らす少女。建築家の両親が設計したおしゃれすぎる家、お母さん手作りの派手すぎるワンピース、ヘンテコな自転車、なんで私の家は“ふつう”じゃないんだろう・・・? 自分にはふつうに見える友人の存在も影響して、“ふつう”への憧れは強くなるばかり。
この絵本は、著者であるトーリル・コーヴェさんの幼い日の思い出がもとになっています。
“この物語は、私の幼い日の思い出をもとにしています。建築家だった両親は進んだ考えを持っており、近所でも「変わった家」でした。私は他の人と同じような服や家具がほしいと思いなやんでいました。そんななか、あのへんてこですばらしいモールトン自転車がうちにやってきたことで、私は「変わったものでもかまわない、他人のことなど気にしなくていい」と思えるようになったのです。“(著者コメントより)
周りとは違う自分、そして両親。ふつうとはいったいなんだろうと思い悩みながらも、成長する中で、徐々に自分らしく過ごしていくことの楽しさ感じ、自己肯定感を高めていく主人公。トーリルさんのカラフルでキャッチーなイラストは、大事なメッセージを、決して重々しくなく、明るく軽妙に伝えてくれます。
『大人も知らない?ふしぎ現象事典』
「ふしぎ現象」研究会/編 ヨシタケシンスケ/イラスト マイクロマガジン社
日常生活で遭遇する「なんでそうなのだろう?」と思うような現象を集めて解説しています。「確証バイアス」や「燃え尽き症候群」などの、比較的よく知られている心理学の項目もありますが、「アイスクリーム頭痛」のように、生理現象についたちょっと意外な正式名称なども紹介されています。日常会話で「それは〜だね」と指摘すると、尊敬してもらえるかもしれません。もしくは、他の人の態度に困ったり悩んだ時に、「これは〜だな」と名前をつけるとなんとなく納得できる、という使い道もあります。いろいろなものの名前を覚えるのが好きな人、説明を聞くと安心する人におすすめです。
『コトノハ町はきょうもヘンテコ』
昼田弥子/作 光村図書
小学生の女の子レンちゃんが住む町は、とってもヘンテコ。なぜかといえば、“ことばどおりのことが起きてしまう“から。”道草を食う“では、本当に道に生えている草をむしゃむしゃ。疲れ切ったレンちゃんの足、突然「ブハハハ!」と笑いだすひざ・・・。そんなまさか!けれどおもわず笑ってしまうようなゆかいなお話しがたくさん収録されています。
お話のどれもに、一度は耳にしたことがあることわざや慣用句がたくさん散りばめられています。ことわざや慣用句が、私たちの生活に身近なところから名付けられているということも改めて感じられるような一冊でもあります。
いきもののはなし(あおのページ)
『わかめ およいでそだってどんどんふえるうみのしょくぶつ』
青木優和/文 畑中富美子/絵 田中次郎/監修 仮説社
海の「ナンジャコリャ!」な生き物を取り上げたシリーズ第2弾(1作目は昨年のリストにあげてあった『われから』でした)。ふだん、見慣れている・食べ慣れているわかめのどこが「ナンジャコリャ!」なのかは、開いてみれば納得です。今回も東京海洋大学名誉教授の田中先生の監修のもと、東北大学農学部海洋生物科学コース教授の青木先生と、学生時代は生物学系の研究者だったのに、なぜか絵を描くことが本業になってしまった畑中先生がタグを組んで、迫力満点の海中の生き物の攻防と、情報満載のふろく(解説ページ)で、わかめの魅力を伝えています。ふろくの中には、生のわかめが手に入ったら行ってみたい観察の方法や、わかめの美味しさを楽しめる料理方法まで載っているので、大人も子どもも、めいっぱい楽しめそうです。わかめの養殖場面にはウミネコも描かれていますが、それもそのはず。ウミネコと言えば…の八戸市でも、わかめの養殖が行われています。わかめの旬は春先(なぜ、春なのかは、この本を読むとわかります)。来年の春に、忘れずに生のわかめを魚屋さんで探してみてくださいね。それまでは乾物か塩蔵で、この本と一緒にわかめを楽しみましょう。
『はるなつあきふゆのたからさがし』
矢原由布子/作・絵 鈴木純/監修 アノニマ・スタジオ
日本に暮らしていると、四季の移り変わりをさまざまな場面で感じることができますが、植物の変化や移ろいは、身の回りで感じられる一番の大きな変化と言ってもいいかもしれません。
この絵本では、そんな身近な草や木、花の季節ごとの変化を、楽しく観察することができます。作者は、植物とお散歩をこよなく愛するという絵本作家の矢原由布子さん。確かに読んでいると、まるで自分も町を散歩しているような楽しさやワクワク感を感じることができます。矢原さんのお散歩を一緒に体験したあとは、読んだ皆さんの番です! 近所や町へお散歩に出掛けてみませんか? 草花などの植物たちと、今まで以上に仲良くなれること間違いなしです。
巻末には、監修をつとめた、植物観察家の鈴木純さんの植物基礎知識も。とっても大きな判型のこの絵本は、すみずみまで、ずーっと眺めていたくなる楽しさが詰まっています。
『まさかさかさま 動物回文集』
石津ちひろ/文 長新太/絵 河出書房新社
きりんねていてねんりき。ぞうくんぱんくうぞ。… 回文を扱う絵本は多数ありますが、なんとなく間抜けな感じと無理を通り越してシュールといっても良い回文のセンスが、長新太の抽象一歩手前のような絵柄と調和して、一つ突き抜けた世界を作り出しています。みんなでワイワイ声を出して読みあって、どの回文が好きか、などで盛り上がりそうです。
ひらがなでないと回文かどうかはわかりにくいものですが、いっぽうパッと見て意味を理解するのは難しいものです。漢字混じり表記が小さく併記されているので、そちらをみて、ああ、そうだな、とわかるものもあるというのを楽しめるかどうか、という点が読者を選ぶかもしれません。語彙の少ない低学年のお子さんには、周りが説明してあげるのも一つの方法ではないかと思います。案外、知らない言葉でも音が面白いとそれがきっかけで好きになったりします。
初版は1989年刊。詩人・翻訳家・絵本作家として大活躍の著者の初のオリジナル絵本でした。2001年に新装版が出版されてからも版を重ねて読み継がれています。すでに親子2代に渡る愛読者も多数いるでしょう。インターネットで読めるインタビューを見ると石津さんは講演などでも即興で回文を披露されるとか。皆さんもぜひ挑戦してみてください。
『なんだこれは』
横山寛多/著 偕成社
虫や生き物を見つけるには、目で見るだけではなく、においを嗅いだり、音を聞いたり、時にはカンを働かせることも必要です。この絵本では、主人公が五感を研ぎ澄ませて、みたことものない虫に出会います。そして思わず、「なんだこれは」。
森や雑木林には、「なんだこれは!」な虫や生き物がたくさん。ちなみに、絵本に登場するする虫たちは、作者である横山寛多さんが住んでいる神奈川県の海沿いの町で、4〜8月に実際に見つけたものだそう。海が身近にある八戸では、どんな生き物が見つかるでしょうか? 絵本を読んだ後、家族や友だちといっしょに、虫たちを探しに出かけてみませんか?そして、家に帰ったら、見つけた「なんだこれは」な生き物を思い出しながらスケッチしてみるのも楽しいかもしれませんね。
『さかな博士のレアうま魚図鑑』
伊藤柚貴/著 日東書院本社
八戸市には漁港も魚市場もあり、水族館まであるので、魚は身近な方だと思いますが、一方で魚屋さんは減っています。釣りをしない家庭では、なかなか丸のままの魚を見る機会がないのは、日本全国どこでも同じような状況ではないでしょうか。スーパーマーケットでは、丸のままの下処理していない魚も少しは並んでいますが、大抵はパックに入っています。それに、どうしてもメジャーな魚が中心で、しかもなぜか遠くの港で上がったものや外国産のものが幅を利かせており、「青森県産」とか「八戸産」と書いてあるラベルにいつも出会うとは限りません。地元で獲れた魚はどうなっているのでしょう?
美味しいけれどもそのことを知られていないために、せっかく獲れたにもかかわらず捨てられてしまう「未利用魚」に光を当てて、その魅力を知ってもらいたい、という著者の熱い思いがこの本にはあふれています。メジャーな魚は登場しませんが、紹介されている魚は全て著者が自分で食べて味を確かめたものばかり。特徴を捉えた丁寧なスケッチ、具体的な食味レポートなど、読んでいると実物を見て、食べて、確かめたくなります。さらには魚のおろし方、調理方法なども紹介されているので、自分で挑戦してみたくなります。著者は福岡県在住なので、扱われる魚の中には南方で取れるものも多く含まれますが、興味深いことに青森県民にはおなじみのカスべは「レア」魚として登場しています。
著者の伊藤柚貴くんは2008年生まれ。今では中学生になっていますが、本作出版前からスーパー小学生として全国放送のテレビ番組でも紹介されていますので、ご覧になった方もいるでしょう。おさかな博士として、今年も地元福岡の「こども海ごみフォーラム2022」に講師として登壇するなど、大活躍です。読み応えのある、そして利用価値の高い1冊です。
『国立天文台教授が教えるブラックホールってすごいやつ』
本間希樹/著 吉田戦車/イラスト 扶桑社
2019年に世界中の天体望遠鏡を使って、歴史上はじめてブラックホールの影の撮影に成功しました。さらに今年になって、私たちの住む天の河銀河系の中心にあると考えられているブラックホールの撮影にも成功したことは、記憶に新しいところです。これは世界中の天体望遠用を結んで一つの巨大なアンテナとして利用するの「イベント・ホライズン・テレスコープ」という国際的なプロジェクトの成果です。著者の国立天文台教授:水沢VLBI観測所所長である本間希樹先生は、このプロジェクトの日本チームの責任者。ご専門は電波天文学ですが、ブラックホールの撮影が成功して以来、メディアでの活躍もしばしば目にする、優れたサイエンス・コミュニケーターでもあります。VLBIとは超長基線電波干渉計の略で、複数の望遠鏡で得られた天体からの電波のデータを合成して一つのデータとして扱う手法です。国立天文台では岩手県奥州市水沢のほか、鹿児島県と小笠原諸島、石垣島の4箇所に望遠鏡を設置していますが、統括しているのは水沢の観測所になります。水沢の観測所は一般の方の見学を受けつけていますので、興味がある方はぜひ訪問してみてください。また、「イベント・ホライズン・テレスコープ」のプロジェクトに2019年まで、台湾のチームのリーダーとして参加していた中村雅徳先生が、現在、八戸工業高等専門学校に勤めています。出前授業も受け付けています。
『ライトニング・メアリ 竜を発掘した少女』
アンシア・シモンズ/作 カシワイ/絵 布施由紀子/訳 岩波書店
今から200年前、まだ地質学という言葉さえ生まれたばかりの時代に巨大爬虫類の化石を発掘したメアリ・アニング。そこにあるのは貧しい一家を経済的に支えるために、危険な海辺の断崖の下で化石を探すけなげな少女、というイメージでしょうか。教育に恵まれていない上、女性であるという決定的なハンディも加わって、発掘の成果を化石の購入者である裕福な男性たちに横取りされてしまう、という点からすると、確かにメアリ・アニングの生涯は、決して華々しいものではありませんでした。しかし、一方で、独学とは言ってもおそらくは親しい友人たちから多くのことを学び、自ら発掘したものが「新種」であると売り込むことができたメアリは、したたかな商売人であるとともに、誰にも負けない専門的な知識を持った科学者でした。そして、心ある人々は、賞賛だけでなく経済的援助も惜しみませんでした。それでも、発掘の苦労とコストからすると、かなり割りが合わないビジネスでしたが。
この作品は、そのようなメアリの一人称で描かれた創作です。身の回りに起きた決定的なできごと、例えば1歳半の時に落雷にあい、一人だけ助かったエピソードや、父親が亡くなった後で120ポンドもの借金があることがわかり、一家が困窮のどん底で冬を越したという話は、実際の記録に基づいたものです。いっぽう、生涯の友人となるヘンリー・デ・ラ・ビーチとの遭遇は、史実とは年齢が異なっているようです。しかし、当時の社会で貧しい人々の生活がどのようなものであるか、キリスト教の教義とは異なる新しい学説がどのような論争を巻き起こし、それが地方の若い人にどのような感想をもたせたか、作者は現代の読者が容易には想像できない事柄を、渦中の少女の視点で描き出します。
少女メアリは、いささか特徴的な性格の持ち主として描写されています。今からは考えられないほど女性が抑圧されていた社会で、しかも周りの人々には理解できない科学の分野で地質学会のメンバーから信頼され、上流階級の顧客を相手にビジネスを展開できたことを考えると、率直さとした高さの両方を兼ね備えていただろうと思われます。ここでは16歳までしか描かれていませんが、いかにものちのメアリを彷彿とさせる人物造形です。
メアリ・アニングのその後の人生や業績については、「あとがき」に述べられています。もっと詳しく知りたくなった大人の方には、日本で出版された『メアリー・アニングの冒険 恐竜学をひらいた女化石屋』がお勧めです。訳者もあとがきのこの本に言及しています。当時の時代背景や地質学の動向、女性の状況などが当時の手紙や日記などを引用しながら説明されていて、充実しています。新たに入手するには古本か電子書籍しかないのが残念です。
子ども向きの本としては、『海辺の宝もの』(1977年に『海辺のたから』として一度出版されている)があります。また、絵本としては『きょうりゅうレディ さいしょの女性古生物学者 メアリー・アニング』『化石をみつけた少女―メアリー・アニング物語』があります。また、女性科学者を紹介する絵本では、メアリ・アニングが載っていないことはありません。『世界を変えた50人の女性科学者たち』『偉大な発見と発明!女性科学者&エンジニアたち(世界を驚かせた女性の物語)』の2冊は理系の道を選んだ様々な人生が紹介されています。地質学について知りたい人には『世界を動かした科学者たち 地質学者』。こちらもそれぞれの科学者の生い立ちから業績まで、一人1ページまたは2ページで紹介します。ここにはメアリ・アニングだけでなく、物語に名前だけ登場するジェイムズ・ハットン、個性的な姿を見せるバックランド、のちに顧客となるアガシなどが含まれています。まだ新しかった地質学というという学問の当時の状況を見るのにうってつけです。
『音楽家の伝記 はじめに読む1冊 ショパン』
ひのまどか/著 ヤマハミュージック エンタテインメントホールディングス
楽譜を数多く出版している出版社による音楽家の伝記シリーズです。これまでにバッハ、モーツァルト、ベートーベン、ショパン、クララ・シューマン、シューベルト、チャイコフスキー、バルトーク、そして珍しいことに日本の音楽研究者、小泉文夫の伝記が出版されています。馴染みの薄い名前もありますが、小学5年生から読めるように、漢字にはふりがながふってあります。
取り上げられている音楽家の中で、ピアノを習ったり、ピアノ曲を聴くが好きな人にとって、ショパンは、何らかの作品を思い出すことができる作曲家でしょう。その華麗で繊細な音楽は初めて聞く曲でもショパンの作品だと分かるくらい特徴的です。
フレデリック・ショパンは1810年、ポーランドのワルシャワ近郊で生まれ、父親の仕事の関係ですぐにワルシャワ市内に移りました。母はポーランド人ですが、父はフランス出身で教育者として寄宿学校でフランス語を教えていました。ショパンが生まれた頃のポーランドは、ロシア、オーストリア、プロイセンの3カ国に分割併合されて独立国としての地位を失っていました。ナポレオン・ボナパルトがフランス皇帝だった短い期間に、独立を認められましたが、1812年にフランスがロシア遠征を試みて失敗すると、ポーランドはふたたびロシアとプロイセンの支配下に置かれます。ポーランドの人々にとって民族の独立は悲願となっていました。ワルシャワに革命の兆しが見え始めた1830年、ショパンは音楽的な飛躍を求めて国外へと旅立ちます。その直後にワルシャワ蜂起が起きました。しかし、強大なロシア軍によりワルシャワは陥落。その後、ロシア革命によりロシア帝国が崩壊するまで、ポーランドの独立は実現できませんでした。その間、多くのポーランド人がフランスで亡命生活を送ります。ショパンもまた、ロシア国籍を拒否したため、生涯、故国に帰ることはできませんでした。現在、「革命」と呼ばれる練習曲はワルシャワ陥落の悲報をきっかけに生まれたと考えられています。その名をつけたのは作曲家自身ではありませんが、20歳そこそこのショパンの、祖国の運命に対する嘆きと憤りが溢れ出ているようです。
ショパンのあまり長くない生涯(亡くなった時、39歳)は、健康状態と精神状態の悪化をいかに回避するか、ということの連続でした。また、作曲だけできたわけではなく、生活のために人前での演奏や個人レッスンをするなど、音楽のためにはハードワーカーでもありました。ポーランド出身の友人たちが彼を支えましたが、とりわけ献身的に助けたのが「男装の作家」として知られるジョルジュ・サンドです。子どもを連れて夫とは別居して生活していたサンドは、その筆一本で家族を養い、自らが相続したフランス中部の領地を経営をする有能な女性でした。冬はパリで、夏はサンドの領地の屋敷で共に過ごす間に、ショパンの後半生の重要な作品の数々が生み出されています。
この伝記のシリーズでは、作品を通しても音楽家の人生に親しむことができるように、要所要所に配置されたQRコードを利用することで、優れた演奏家による演奏も聞くことができるようになっています。ぜひ、音楽を聴きながら、ショパンが抱いた祖国への熱い想いや、ショパンがサンドやそのほかの友人たちを過ごした穏やかなフランスの田園地帯の夕暮れなどを思い浮かべてみてください。
『猿橋勝子 女性科学者の先駆者』
清水洋美/文 野見山響子/絵 汐文社
猿橋勝子は日本の女性科学者の草分け的な存在です。専門は地球化学。定年まで気象庁の気象研究所に勤めました。東京大学理学部から女性として初めて博士号を取得。女性科学者の連携のために婦人科学者の会を発足させ、後には初の学術会議会員となります。そしてその名は優れた女性研究者に贈られる猿橋賞に留められています。
この伝記では、猿橋の少女時代のエピソードが詳しく紹介されています。雨はどこから来るのかと思って空を見上げる子ども時代から始まり、小学生のころは色が細かったこと、受け持ちが全て女性の先生だったことなどが述べられます。進学した今の中学高校にあたる都立第六高等女学校には当時、定期試験や親に送る成績表がなく、最終学年では全員がそれぞれのテーマで卒業論文を提出するなど、生徒たちを自立した存在として扱う教育方針でした。大正デモクラシーの余韻の残る自由な校風が、現場で研究を積み上げていった猿橋の研究者としての姿勢に影響したかもしれません。
猿橋の科学者としての業績のうち最も社会的影響が大きかったものの一つが、第五福竜丸事件の際に、いわゆる「死の灰」の微量分析に関わったことです。アメリカが太平洋のビキニ環礁で行った核実験によって生み出された大量の白い粉末は放射能を帯びており、それを直接浴びた日本のマグロ漁船の乗組員が被曝しました。最も重い被害を受けた方は数ヶ月後に亡くなっています。猿橋は核実験による放射能汚染の危険性について、1958年の世界婦人集会で科学者として講演します。このような主張が、その後の、大気中での実験を禁じた「部分的核実験禁止条約」につながったと言えるでしょう。さらに、猿橋と第五福竜丸の船体との、その後の関わりについても述べられています。現在、当時の船体は東京都立第五福竜丸展示館に展示保存されていますが、猿橋は事件から約20年度の開館式に招かれて参加しています。生涯、科学者の社会的責任ということを訴え、行動した人生でした。
この本では、巻末に年表のほか、コラムとして猿橋の出身校の同窓生が紹介されているほか、猿橋から見ると先輩にあたる日本の女性科学者たちの短い評伝が掲載されています。また、猿橋に「会える場所」として、上記の第五福竜丸展示館と気象科学館の案内があります。
日本の女性科学者が載っている図鑑は残念ながら見当たりません。少し学年が上の人向けですが、岩波ジュニア新書から『理系女子的生き方のススメ』が出版されています。また、第五福竜丸事件に関しては、以下の書籍が児童書として出版されています。『わすれないで―第五福竜丸ものがたり』『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』。後者はアメリカの画家ベン・シャーンが事件の衝撃から描いた一連の作品をもとに、日本語で作品を発表するアメリカ合衆国出身の詩人が絵本の形にしたものです。また、この伝記は「はじめて読む科学者の伝記」シリーズの一つで、同じシリーズから他に『中谷宇吉郎』『牧野富太郎』『池田菊苗』が出版されています。牧野は来年のNHK朝の連続ドラマの主人公とのこと。グルタミン酸の発見者である池田の評伝はこれまでにほとんど出版されていないので、貴重な一冊です。