【佐藤正午さんの「月の満ち欠け」】坂本さんのお手紙

現在開催中の「パワープッシュ作家・佐藤正午さんの「月の満ち欠け」」に関連し、ここに1通のお手紙文をご紹介します。「月の満ち欠け」の編集を手がけられた坂本政謙さんが、書店・関係者の方へ宛てて送られたお手紙です。

このお手紙は、プルーフ本(仮印刷された、本が発行される前の見本となる本)とともに送られたもので、「月の満ち欠け」が誕生する前夜のようすや、佐藤正午さんの作品を手がけることへの坂本さんの格別の想い、そして小説を書くことに対してとてもストイックである佐藤さんの姿などが書かれています。

今回は書店・関係者の方へ宛てたお手紙を、特別に八戸ブックセンターのウェブサイトで公開できることになりました。つくり手の熱意が伝わるこの文章を、八戸のみなさんにも読んでいただき、「月の満ち欠け」をお手にとっていただければと思います。

 

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   みなさま

 佐藤正午さんの新作『月の満ち欠け』のproofをお届けいたします。正午さんにとって本作は、前世紀も終わりに近い1998年に発表された『Y』以来、ほぼ20年ぶりの書き下ろし小説になります。

 私が正午さんの小説に出会ったのは、20歳になったばかりの冬。『王様の結婚』という作品でした。その後『ビコーズ』を決定的な契機として、いつかこの作家に会いたい、仕事がしてみたい、するだろうという夢――妄想と言っていいかもしれません――を抱き続けてきました。
 そして、駆け出しの編集者として初めて正午さんにお会いしたのは、1999年4月28日。そのときの様子は『きみは誤解している』(小学館文庫)の「付録」および「解説」に詳しいのですが、書き下ろしの小説をお願いする私に、正午さんはこう応じました。
 「長編をひとつ書くのにだいたい1年かかると仮定して計算してみるとさ、4本書くのに4年かかるでしょ。そのあいだに1年のインターバルを入れるとして、そうだな、順番からいって5番目が書けるのは、早くて2007年か08年ごろになるけど?」
 それに私はこう応えたのを、いまでも忘れていません。「わかりました。お願いしてすぐ書いていただけるとは思っていませんでした。インターバルのあいだに短編を連載していただけるような文芸誌も、うちにはないですし、仕方ないです。待ちます、何年でも」
 あれから18年。この『月の満ち欠け』をみなさんにお届けできるまでに18年の歳月を要しました。本作は、18年のあいだ、ひたすら待ち続けた私への、正午さんからのGiftでしょう。同時に、新作を待ち望んでいる佐藤正午ファンへのGiftであり、そして未だ佐藤正午作品に出会っていない読者へのGiftでもあります。
 現状で書き下ろしに取り組むのは、経済的にも余裕のある書き手にのみ、許されることでしょう。本が売れないと言われている昨今なら、なおさらです。書き下ろしに集中しているあいだ、その書き上げたものに対して原稿料は発生しません。雑誌連載ではありませんから、最後まで仕上げ、単行本として刊行され印税が入金されるまでは、ただ働き同然と言ってもよいでしょう。複数の小説連載を同時進行的に進めている作家は多くいますけれども、それが正午さんには性格的にできません。目の前にあるひとつの小説に集中しているとき、それを書き終わるまでは他の小説の仕事は受けない――佐藤正午という作家は小説を書くことに対してとてもストイックで、高倉健のように不器用なのです。
 本作はそういう背景をもって届いたGiftです。佐世保に暮らし、筆一本で生計を立てている正午さんにとって、書き下ろし作品に取り組むことは、みずからの生活を犠牲にする覚悟をもって臨んだものであったでしょう(ご本人はそのようなことを一言もおっしゃられたことはありませんでしたが)。その思いに、その思いが込められた本作に、担当編集者としてはなんとしても応えたい。本当に、『鳩の撃退法』刊行以後、ずっと真剣に本作にむきあい、書き継いでくださいました。
 そのあれこれをここで書き始めればキリがありませんけれども、本作が、小説家・佐藤正午がこれまでの文体やスタイルを一新し全力をもって書き上げたものであることは、まちがいありません。
 お送りしたproofは初校段階のもので、いまも正午さんのもとで校正作業が進んでおり、すでに多くの朱字が入っていると聞いています。完成した作品は、より洗練されたかたちになると思われますが、ぜひぜひ本proofにお目通しいただき、『月の満ち欠け』と佐藤正午に、みなさまのご支援を賜れば、これに過ぎる喜びはございません。
 小社から、このようなかたちでの正午さんの作品が刊行されることは、おそらくありません。「最初で最後」になるでしょう。たとえば18年後。正午さんはいくつになっているのか。晩年の武者小路実篤のように、まだ書き続けているのか? 奇跡的ななにかが起きないかぎり、二度とはない、本当の意味での「最初で最後」の作品、Giftです。
 この18年を思えば、こうして『月の満ち欠け』をみなさまにお届けできること、それ自体が奇跡のようにも思えます。本作は、この歳月を待つに値するものとする仕上がりになっていると確信しています。なにとぞご協力のほど、よろしくお願いいたします。

岩波書店 編集局

坂本政謙 拝

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